2014-04-14

人の魅力ってなんだろう?

イクスプラズムでは映像や写真媒体でのプロモーションをサービスとして掲げています。

どんな映像や写真がプロモーションとして有効なのでしょうか。それは、プロモーション対象の魅力を伝えることだと考えています。

もちろん、プロモーション作品は魅力を伝えるという意識だけではなく、特徴を知ってもらうとか、なにか強いインパクトを感じさせるとか、印象に残して覚えてもらうための表現手段も必要です。
しかし、結局はそこに潜む魅力を誠実に伝えることができなければ、そんな表現の工夫も単なる情報だったり、ただのドッキリになったりするだけです。

魅力を伝えることはとても重要なのです。

実は、魅力を伝えるという行為は、プロモーションだけに必要なことではありません。たとえば、伝える魅力の対象やその範囲は異なりますが、「映画」という映像作品であっても観る人に魅力を伝えることで面白いと感じてもらえるのです。

こうなってくると、魅力を伝えることには表現全般に共通する普遍性がある、といえるのかもしれませんね。


実はその魅力にも普遍的な共通点があることが分ってきました。
人は、どういうものに魅力を感じるのか、なぜ魅力を感じるのか。

そのキーワードは「然」。

とても抽象的で掴み所がありません。その意味は「自然」とか「偶然」に近いのですが微妙に異なります。そして、いくら辞書を探してもぴったり当てはまる「~然」という言葉は見つかりませんでした。
「態然」とか「満然」という言葉を考えてみましたが、別な意味になってしまいそうです。

しかし、意識的とか、恣意的といったところとは逆のことだろう、というのは何となくお分かり頂けるでしょうか。実際、意識的とか恣意的といった言葉は主に人間の大人について使われますが、魅力を探ったり、魅力的な表現を創作しようと意識すればするほど、逆にそれは遠ざかってしまうようなところがあり、非常にやっかいなものでもあるわけです。

人間の子供や動物には敵わない、という話を聞くことがあります。俗に「もっていかれる」なんて言われ方もされます。
映像や写真に子供や動物が写ると、ただの大人が写っているよりもずっと魅力的で、観る人はそちらに心を奪われてしまうといったことなのでしょう。

では、なぜ子供や動物は人間の大人より魅力的なのでしょうか。
子供や動物に共通する魅力に「可愛さ」があります。彼らはそれを意識的にそうしようとしているわけではなく、ありのままに行動し、ありのままの姿を見せているだけです。そこに魅力の強さがあります。

細かいことをいえば、人間の子供は「可愛い」と褒められているうちに、どうすれば可愛いと褒められるのかを理解するようになり、意識してそれをするようになることがあります。あるいは、猫などは獲物を捕まえるのに失敗したりすると、転換行動といって自分の身体をなめたりしてごまかすことがあります。
そこには彼らなりの意識が入り込んでいるのですが、それは見る人が見れば全部お見通しで、そういった行動さえもひっくるめて可愛いと感じさせる場合も多いわけです。
ただ、その意識が巧妙になればなるほど、徐々に可愛さからは離れていくのだと思います。

~然とした子供や動物の魅力は可愛さに繋がりました。
すると、大人でも可愛さが魅力なのでしょうか?

そんなはずはありませんよね。確かに、子供のような大人が魅力的な場合も多々ありそうです。でも、それだけでは大人、いや、人の魅力を語ることはできません。
そこに「強さ」が加わるのだと思います。

解りやすい例としてはスポーツ選手が揚げられます。
勝つ、というごまかしのできない純粋な目標に向かってひたすら全力を尽くす。そこに然があります。そして、身につけた強さがあります。
強さは勝敗を決めるだけではなく、人としていろんな部分に展開して現われることがあります。たとえばそれは他人に対する優しさという形になることもあるでしょうし、おおらかさという性格の一部になることもあるでしょう。

~然を根源とする可愛らしさに強さが加わることで、普遍的な人の魅力にだいぶ近づいてきたように思われます。
しかし、忘れてはならないもう1つの要素があるのです。

それは、「感受性」です。

感受性の強い人は自分の感情を意識的に隠すことが難しいということもあり、子供や動物のように然とした態度や行動を取ることが多いのだと考えます。そんなリアクションは人を引きつけます。
逆に、恣意的なリアクションはむしろ引かれることさえあります。
つまり、感受性は然とした様子や可愛さにも深く関係しているのですが、それだけではありません。

豊かな感受性や強い感受性を持っている人は、人とは少し違う世界が見えています。
たとえば、そんな人と一緒に旅行をすると自分独りでは見えなかったことに気付かせてくれたりして、心の視界が広くなってより楽しみが増えるのです。

アーティストと呼ばれる人は、この感受性に由来する魅力を持った人が多いのです。
平たくいえば、自分だけが感じる世界(それは個性の本質に関係します)を多くの人と分かち合うために表現力を磨いた人なのです。アスリートのように純粋な目的があり、表現技術を磨いてきた強さがあります。
アーティストはその表現作品だけではなく、その人自身に魅力を感じる理由はそこにあるのです。


今回は特に人の魅力について書いてみました。今後も魅力について書くこと、語ることがあると思いますが、おそらくこの記事と重複する部分が多くなると思います。また同じことをいってる、なんて思わずに読んで頂けましたら幸いです。

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