2014-05-31

デジタルの空虚さと然

魅力について語るとき、欠かせないキーワードは「然」です。
「自然」の然ですが、自然という言葉は少し違います。いろいろと調べてみたのですが、なかなか良い「~然」という言葉は見つかりませんでした。

強いてその見つからない言葉の意味を定義すれば、

 「自ずと満たされた状態」

でしょうか。


この場合の満たされる、とはどういうことでしょうか。その逆を考えてみると解りやすいかもしれません。

幸いというべきか、未だに主なラジオ放送はアナログです。しかも、初期のラジオ放送の技術を使ったAM放送も健在です。そして、デジタルには及びませんが、AMよりも断然音質が良いFM放送もあります。
NHKは同じ番組内容をAMとFMで同時に放送していることがあります。

ある日、AM放送でそのNHKの番組を聞いていました。音域が狭くてノイズに弱いAM放送ですが、ノスタルジックな趣や味わいがあります。その雰囲気に魅了されながらしばらく聴き入っていましたが、ふとこれはFMでもやっているのではないか? と気がつき、FMに変えてみました。やはり同じ内容の番組がやっていました。ところが、味も素っ気もなく、それはひどくつまらないものに感じられ、聴き続ける気がしなくなってしまったのです。まったく同じ内容だったのに。

番組の内容は男性のおしゃべりが中心だったように思います。AMで聞いていたときはそのお話しの内容に集中することができましたが、FMでは聴き続けることさえ苦痛になってしまったのです。

FM放送はAM放送に比べるとノイズには強いし音質も優れています。しかし、男性のおしゃべりを聞くのには過剰な性能ということもできます。逆にいえば、男性のおしゃべりだけでは、そのFM放送のポテンシャルを満たすことはできなかったのです。

やっとここで満たす、という言葉が出てきましたね。

AMやFM放送というシステムを器に喩えてみると、FM放送の器を満たすことができない内容だったといえます。しかも、よりリアルに再現される男声には余分な情報が含まれていて、聴くものの脳でフィルタリングという余計な活動が強いられるように思います。それが番組を聴き続けることに苦痛さえ感じられた原因だと思うのです。

人は、抽象化されて必要な情報だけで表現されたものの方に惹かれます。特に脳が発達段階にある子供が実写よりもアニメーションに目が奪われやすいのもそういうことです。

写真も、カラーよりも情報量の少ないモノクロのほうが主題を表現しやすいことがあるのもそういうことだし、実写よりも特徴を的確に捉えた似顔絵の方が事件の捜査に有効な場合があるのも同じ理由です。


FMよりも更に高音質なデジタルではどうでしょうか。

けっこう多くの人がスマートフォンで撮影する写真に何らかの加工を施しています。たとえばセピア調にしたり、最近では多彩な種類の加工が用意されています。でも、その多くに共通するのは画質の劣化です。わざとぼかしたり、暗くしたり。
デジタルでは上記の器に相当する部分を偽装することが容易になったというわけです。
でも、それはやっぱり恣意的に過ぎる気がします。そこに、とても「然」が存在するようには思えません。

しかしながら、高度に処理された写真ではその加工に十分な必然性が感じられる場合もあります。デジタルであっても人の汗が感じられるのです。ただし、これはむしろ例外的だと思うのです。

デジタルの空虚さは今に始まったことでもないし、CDが世に出てきた頃から意識せずとも存在した問題でした。世の中は、いかにデジタルで小さな器を作るかに苦戦しているようにも見えますが、そこに頼らず、大きな器に相応しいコンテンツを構築していくことが本質的な解を生み出すのだと思うし、それが本来的には求められているはずです。ちょっと優等生ぶった解でもありますが。

ただ、一方ではTV放送のようにハイビジョンの次は4Kだ、と無駄に器だけ大きくしようとする虚しい試みも続けられていて、そこには少なからず問題も感じられるのです。

器だけでかくすることの虚しさにもっと目を向けるべきです。


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