(つづき)
前回までの3回の記事で、問題解決における創造的思考についての位置や役割について大まかに理解して頂けたと思う。
記憶を引き出すにも創造的思考が役に立つが、もちろんエンジニアの問題解決能力には他にも重要な要素がある。たとえばイメージ力だ。
システムの動作を何処まで立体的な繋がりとして頭の中にイメージしているかによって、言葉としては同じものを指していたとしても、その応用範囲は雲泥の差になる。
それは視覚的なイメージだけではない。コンピュータのUIレスポンスの速度であるとか、通信速度の感覚であるとか、あるいは直接UIとは関係の無い、動作の確実性の感覚だったりもする。
新たな物事を理解するとき、単に一面的に「知る」だけで満足してしまうのか、その属性や特徴を必要ないくつかの視点から関連づけを行うように理解しておくか、イメージ力とはそういった違いによっても現れてくると思う。
視覚を含む感覚的なイメージは言語的な記憶から直接導き出すことは難しく、創造的思考から呼び覚まされるものではないかと考えている。少なくとも、切っても切れない深い関係があると思う。
ここに来て、やっと「センス」(感覚)という言葉が出てきた。
創造的思考力というものがあるとすれば、それはセンスのあり方によって大きく左右される。そしてそれは問題解決能力や技術力に係わる。
センス、そして創造的思考。問題解決に飛躍的な力を与えてくれる能力だと思う。
創造的思考にセンスが必要なことは見えてきたが、センスを最初から持っていなければならないのだろうか。生まれ持った才能で、これがない人は諦めなければならないのだろうか。
僕は必ずしもそうではないと思う。今の日本のアカデミックな教育体系の中で学ぶことには期待できないが、そういったセンスを身につける教育方法というものは必ずあるはずだと思う。しかし、そんな教育法が目の前になくても、実践においてもセンスは常に磨かれていくものだし、それは本人の向上心、モチベーション次第だと思う。
知識を学ぶのは得られた魚をもらうだけに過ぎない。魚を釣る方法を学ぶこと、それは考え方を学ぶことであり、それができれば、自ら能力を高めていくことができる。
センスを磨く、その原石はどんな人間だって生まれながらに持っていたわけではないはずだ。幼少時からの体験で、たまたま興味を持った事柄から偶然に学び取ってきたものかも知れない。大人になってからはそれらを意識して学べばいいだけの話だと思う。
一番良くないのは、日本の知識偏重主義に毒されてしまうことだ。これは、多くの管理者やその立場にある組織が暗黙のうちに前提とする主義であり、人を人としてではなく、個性のない部品や労働力としてしか見ようとしない。その場合、この主義は管理の都合上大変便利なのだ。
もっと端的に言えば、そのような管理者は技術者が素人であること前提にしている。
素人を前提にしている管理に甘んじ、向上心を持たずに現場で漫然と不毛な作業ばかりしている技術者が多いと感じられるのは、日本の「考えない」教育方針と関係が深いのかも知れない。
(終わり)
追記:
人間の「思考」についての研究はAIの研究とともに発達していくと思われる。既に、そういった分野での最先端の研究では相当なことが解明されているのかも知れない。
しかし、今回そういった文献を一切参照してはいない。浅い知識と、自分自身の経験や感覚からでっち上げた文章だ。
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