2017-12-15

忘れられた合理性の追求(1)

「合理化」という言葉は本来の意味を超え、悪い印象を受けてしまう文脈で使われることが多いですね。よくあるのは、「経営の合理化」→「リストラ」、といった流れ。

しかし、本来この言葉は理に合わせる、理に適ったものにする、という意味であり、そこに負のイメージはないはずです。

コンピュータはこの本来の意味での合理化を実現するための道具でなのす。


ところで、僕のICT技術者としての座右の銘は、

 「楽をするための労は惜しまない。」 (受け狙いです・・・)

ですが、これは矛盾しているでしょうか? そうではなく、
作業を合理的に行うための仕組みを作ってから効率的に(楽に)実行する。その際の仕組み作りの労を惜しまない、という意味です。

たとえば、
本を何冊も作るのに、全て写本するのではなく、印刷するための仕組みや装置を作ってその後は短時間で大量の本を安価に生成する。
というようなことです。

座右の銘と書きましたが、実際にはこれを肝に銘じて意識的にそうしよう、としているわけではなく、この仕事を始める前から既に備わっていた自分の本能的な思考&行動パターンなのです。要は怠惰で一攫千金を夢見るだらしのない男なのです・・・。
なので、自分はICT技術者に向いている、と勝手に思っているわけですが、何か?(笑)

しかし、昔の日本人はそういったズル?はせず、一つ一つコツコツとやることが努力であり、そこに美学を見いだす人が多かったかも知れないと思いますし、今でもそういった行動に美学を感じながら作業をこなしている人も多いように思います。
もちろん、それは作業の内容によってはとても大切なことだと思いますが。

僕は、コツコツと目の前にあることをこなしていくという気質は日本人のいいところでもあるとは思うのですが、一方で合理性の追求が後手に回る要因にもなっているのではないかな、と考えています。
更に悪いことに、これは発想力や創造力の低下にも結びつく可能性があると思うし、現在までの記憶力や暗記中心の教育方針にも結びつき、ひいては個性を否定することにも繋がっているようにも感じられるのです。

つまり、日本人はICT技術者に向いていない人が多い、と、少し乱暴かも知れませんが言える部分もあるような気がするのです。特に、ある意味真面目な人には向いていないと思うわけですね。

そして、やや皮肉っぽい言い方になりますが、

 「(日本人的な尺度で)頭のいい人はICT技術者には向かない。」

と感じることがあります。日本人的な尺度で頭のいい人、つまり記憶力が優れているだけの人です。日本の学歴社会では本当に優秀な人と評価されるのですが・・・。

記憶力が優れている人は、問題の解決にも記憶力だけを頼る傾向があります。なので、合理性の追求をしません。考えるよりも知識に頼るわけです。だから、自分の考えで判断することもしません。裁判所にたとえれば、判例を探してきてそれに従うだけ、ということです。判例が見つけられなければ答えを出せないのです(裁判所は違いますよ)。

先進国の中で、日本は1人当たりの生産効率が最も低いそうです。個人的には先進国という枠を外したら更に順位は下がるだろうと想像しています。特に、ICT業界は確実に低いと考えています。

それは日本人の気質的なことだけでなく、情報技術の学歴を持たないもの、あるいは理科系ですらない人を技術者として大量に雇っている現実もあります。
そんな人たちはある一定の仕事はしますが、写本で製造することに少しも疑問を持たないような人たちでもあるのです。これでは、本人たちがどんなに努力したって生産効率が上がるはずがありません。努力の仕方を間違えているからです。

想像で語っているわけではなく、身をもってそういった現場を体験してきました。
この仕事に対し、いいものを作りたいという根源的なモチベーションを持つ自分にとっては苦痛以外の何ものでもありませんでした。

(つづく)

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