2017-12-16

忘れられた合理性の追求(5)

(つづき)

最初に書いたように、コンピュータの存在目的そのものが合理化を目指したものです。
逆に、文明が合理性を追求した結果、コンピュータが広まったとも言えます。

そのソフトウエアを開発する作業自体も、当然ながら合理化されるべきです。ある意味、それは合理化の最先端であるべきではないでしょうか。
もし、ソフトウエア開発自体に合理性を求めないのであれば、それはそこから生み出されるソフトウエアの存在やコンピュータそのものを否定していることにはならないでしょうか。

ICTエンジニアは本能的にそのことを理解しているものです。べき論などではなく、もっと根源的なもののはずです。もしこれを持たないICTエンジニアが存在できるのだとすれば、それは遺伝子が壊れているようなもので、世に害悪を及ぼすことにもなりかねず、決して繁栄させてはいけないと思うのです。

最後に・・・


実は、この記事を公開することには少なからず勇気が要りました。曲がりなりにも客先の人たちが係わっていることだからです。しかし、それは単なる客ではなく、いや、客である前にエンジニアとして生きている同じ仲間でもあるはずなのです。
だからこそ、強く危機感を感じ、問題意識を少しでも多くの人に感じていただきたく、公開する決断をしました。

決して、自分より能力の低い人を晒して自分を相対的に優位に見せ、そして優越感に浸るといったゲスな考えを動機とはしていません。是非、この点だけは誤解していただきたくありません。
もし、この記事によって私が今後の仕事を失うようなことがあっても悔いはありません。その覚悟で書きました。

こんなに酷いことがまかり通る環境は変えなければならないはずだからです。

そして、純粋にいいものを作りたい、その動機付けだけでプロジェクトに係わる全員がそれぞれの役割を果たしていくような、幸せな仕事の現場が少しでも増えていくことを願って止みません。

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