2016-06-28

「録盤庫」Webサービスの公開


録盤庫(ろくばんこ)は家庭でTV番組を録画したBDやDVD等のディスクを管理することができるWebサイトです。基本的に無料でご利用になれます(ご利用状況によっては500枚以上のディスクを登録する場合の有償化を検討します)。
録画ディスク管理は録盤庫!!

現在、α版として公開中ですが、是非お気軽にご利用ください。
レスポンシブデザインでPC、スマホ、タブレットに対応します。



2015-02-22

一眼レフカメラの最大の欠点

今、手元にあるデジカメはNikonの一眼レフD70、それからミラーレスがSONY NEX-5N(+電子ビューファインダー)とPanasonic DMC-GH4の2台です。

このNikonからSONYに持ち替えたとき、一番良かったこと、それが逆に言えばミラー一眼?の欠点でもあると思うのです。

ミラーレスの場合、ファインダーを覗いたままシャッターを切れば、即座にその結果をファインダー内で確認することができます。動いているものなどのブレ具合なんかもすぐにチェックできるわけです。

ミラー一眼では撮影した結果を確認するのに、いちいちファインダーから目を外し、背面のモニターを見なければいけません。しかも、明るい場所ではよく見えないし、見えても画質が悪く、フォーカスまで短時間で確認することはとても難しい。

大げさに言えば、このことはフィルム時代に完成された一眼レフカメラのスピリットを裏切るものだと思うのです。
目で見えるものがそのままフィルムに感光される、というスピリットですが、デジタルになった場合撮影するものとその結果の同一性までその思考は拡張されるべきです。
フィルムはあとで現像しなければそこまで確認できませんから、カメラに対する要求も一眼レフカメラで十分だったと思います。しかし、デジタルになれば撮影した結果はその場で見える訳ですから、撮影しようとすることとしたことを確認できて当然、と考えます。

一眼レフで撮影するとき、シャッターを切るたびにファインダーから目を外し、背面のモニターを確認するというのはとてもかっこわるくも感じられます。非常に完成度が低い方式と言っても過言ではないと思うのです。

じゃあ、全部ミラーレスにしたらいいのか? 将来はそうなるはずだと思うのです。でも、開発されたミラーレスはおもちゃのようなものばかり。本気のものはありません。特にCanonやNikonがそういう扱いでしか作っていない。

技術的な欠点を指摘する人もいます。まず、電子ビューファインダーの解像度。本当ですか? 現状発売されているミラーレスの電子ビューファインダーはフォーカスを確認するのに問題を感じることはほとんどありません。少なくとも僕の場合はそうです。しかも、フォーカス確認をアシストするピーキングという機能まであるのです。
更に、暗くて肉眼では見えないようなシーンも、ノイズは乗りますが確認することだってできます。

もう1点問題があるとすれば、常にセンサーを起動しているために、発熱処理の問題があり、撮影の瞬間だけセンサーを駆動する場合より不利になる、ということでしょうか。
でも、これだってミラーレスだからといって無理に小型化なんかしなければ放熱も何とかなると思われます。

ミラーの仕組みは複雑で高度な技術、ミラーレスは作ることができても、ミラー一眼カメラを作るメーカーは限られています。だからメーカーはその技術を手放すのが怖いのかも知れません。
もっといえば、古い技術に固執しているということではないでしょうか。それを手放すことでメーカーとしての差別化が難しいと。

もしそんな考えがあるとしたら、時代遅れの堅物として葬り去られるのも時間の問題ではないでしょうか。

もし、そんなにレンズの生の光を見たいなら、更に複雑な機構になると思いますがファインダー内部で撮影結果を確認できるような仕組みを追加的に作り込むことではないでしょうか。
しかし、この折衷案のような方法は無駄な苦労に終わる可能性が高いかも知れません。やっぱりミラーなんか要らなくて、その分マウントの自由度も高くなり、よりレンズ設計の自由度も増すわけですから。

そうそう、レンズ設計についても、ミラーのためにセンサーまでの距離が長いという制約の中で培った技術も、もしかしたら手放せないのかも知れません。
ただ、フルサイズセンサーのミラーレスを作っているSONYなんか見ていると、バランスのいいレンズを作れないでいるように見えます。高額で性能はそこそこしかないレンズばかりという印象で、そんなレンズしか選べないSONYのカメラにあまり魅力を感じないのです。SONYには無理をせず、APS-Cサイズでの高級機を目指して欲しかった。

仮に今すぐフルサイズのミラーレスをNikonが作り、マウントもミラー一眼と同じものであったなら、僕は迷わずそのカメラを選ぶと思います。欲しいレンズがいくつもあるからです。


一度ミラーレスカメラという道具に馴染むと、撮影データを確認するためにいちいちカメラポジションを移動させなければならない不格好なカメラには戻るのが嫌になります。
SONYのカメラでNikonのレンズを使えたら(オートフォーカスも手ぶれ補正も全てネイティブのように動作することが条件)今のところベスト、理想だと思うのですが。

メーカーさんにこの想い届いて欲しいな~


あ、Canonを話題にしていませんが、今までたまたま出会いがなかっただけですので・・・



2014-10-07

表現の欲求

実は10年前に初めて書き始めたBLOGのタイトルは「表現するために」でした。
自ら、最も興味のある「表現」ということについて、日々感じたことを様々な視点から、いや、悪く言えばでたらめな観点から感情の赴くままにすべて書いていたのです。

「表現」は人間の根源的な欲求だと思っていました。厳密にはコミュニケーションの一方を示す言葉ですが、受け取る側がなければ成立しないという意味で、むしろコミュニケーションという意味で根源的な欲求であると。

では、なぜコミュニケーションではなく表現なのか、それは、主に受け取り側が大衆である場合を想定していたからです。当時、インディーズのJ-POPアーティストのそばにいてミュージックビデオやライブ映像を制作する活動をしていたので、そんな環境から得られる話題を中心にしたということでもあります。

もちろん、映像だって不特定多数を相手にするものを制作していたのですから、自分自身の表現欲についても当然のことながらそこには含まれていました。

アーティストにせよ、役者にせよ、映像制作にせよ、大衆に向けての表現活動にある根源的な欲求というのは、1対1のコミュニケーションとは違い、大勢の人に認められたいという強い承認欲があると思います。

他人に認められることには、脳にとてつもなく大きな快楽をもたらすことが知られています。その快楽を一度知ると、それは強烈な麻薬同様に再度得ようとする、つまり、人間の行動を支配してしまうのです。これに逆らえる人はなかなかいないのではないでしょうか。

更に、そんな行動は麻薬と違って基本的には人に迷惑をかけません。人に褒められたいのだから当然です。


ところで、唐突ですが人はなぜ存在するのでしょうか。人はなぜ生きるのでしょうか。
そして、そのことと表現欲との関係は?

結論からいうと、どうも人が生きる目的と直接的な関係はないのではないか、と思うようになりました。
コミュニケーションが不要だといっているのではありません。人間は他人と一切関わらずに生きることはできませんから、どんなものであってもコミュニケーションは必要です。でも、当然ながらそれは手段に過ぎません。

人との愛を育むためにもコミュニケーションは必要です。苦しみに耐えるときだって、人の助けが必要です。

だけど、大衆に向けての表現やコミュニケーションで愛が生まれることは希だと思うし、歌に助けられるほどの苦しみはそれがなくても乗り越えられるものが大半だったりするのではないかと思うのです。

大衆に向けての表現は通常娯楽でしかないのではないかと考えます。
もちろん、だからといって不要であるとか、重要ではないということでは決してありません。

しかし、そのような表現をせずとも幸せに、あるいは苦難を乗り越えて生きている人も大勢いるということうこと、そして、そういった一見平凡な人生を歩むことも立派な人生である、いや、むしろそんな人生の方が立派ではないか、とさえ考えるようになりました。

この考え方はまたすぐに変わってしまうかも知れませんが、書いてみました。


2014-08-29

舞台宣伝映像


直接はこの舞台の出演者のお一人、岬 万泰(みさきまひろ)さんからご依頼を受けて作成したものです。
講演直前に作成したのでどこまでお役に立てるのか未知数です。

あ、宣伝になりますがこの作品のタイトル「生きる」、いかにも重そうですが、あのコント山口君と竹田君の山口さんが脚本、演出を担当されていますから、当然笑いの要素もあって楽しめそうです。しかも、実話を元にしているので説得力もあります。
そして、主演はこの劇団の座長のブッチー武者さん、あの俺たちひょうきん族の懺悔の神様の方です!

まだ、お席に若干余裕があるようですから、ちょっとでもご興味のある方はいらっしゃってみてください。


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プロデューサー・原案:ブッチー武者
脚本・演出:山口弘和(コント山口君と竹田君)

◇会場
 六本木 俳優座劇場
◇公演スケジュール(2014年)
 9/2(火)19:00
 9/3(水)14:00
 9/3(水)19:00
 9/4(木)19:00
 9/5(金)19:00
 9/6(土)14:00
 9/6(土)19:00
 9/7(日)14:00

◇お問合せ
 BMCエンタープライズ株式会社
 東京都豊島区西巣鴨2-1-19 KAYOビル4F 402
 03-6903-7895
 http://bmc-enterprise.co.jp/

2014-05-31

デジタルの空虚さと然

魅力について語るとき、欠かせないキーワードは「然」です。
「自然」の然ですが、自然という言葉は少し違います。いろいろと調べてみたのですが、なかなか良い「~然」という言葉は見つかりませんでした。

強いてその見つからない言葉の意味を定義すれば、

 「自ずと満たされた状態」

でしょうか。


この場合の満たされる、とはどういうことでしょうか。その逆を考えてみると解りやすいかもしれません。

幸いというべきか、未だに主なラジオ放送はアナログです。しかも、初期のラジオ放送の技術を使ったAM放送も健在です。そして、デジタルには及びませんが、AMよりも断然音質が良いFM放送もあります。
NHKは同じ番組内容をAMとFMで同時に放送していることがあります。

ある日、AM放送でそのNHKの番組を聞いていました。音域が狭くてノイズに弱いAM放送ですが、ノスタルジックな趣や味わいがあります。その雰囲気に魅了されながらしばらく聴き入っていました。しばらくして、ふとこれはFMでもやっているのではないか? と気がつき、FMに変えてみました。やはり同じ内容の番組がやっていました。ところが、味も素っ気もなく、それはひどくつまらないものに感じられ、聴き続ける気がしなくなってしまいました。まったく同じ内容だったのに。

番組の内容は男性のおしゃべりが中心だったように思います。AMで聞いていたときはそのお話しの内容に集中することができましたが、FMでは聴き続けることさえ苦痛になってしまったのです。

FM放送はAM放送に比べるとノイズには強いし音質も優れています。しかし、男性のおしゃべりを聞くのには過剰な性能ということもできます。逆にいえば、男性のおしゃべりだけでは、そのFM放送のポテンシャルを満たすことはできなかったのです。

やっとここで満たす、という言葉が出てきましたね。

AMやFM放送というシステムを器に喩えてみると、FM放送の器を満たすことができない内容だったといえます。しかも、よりリアルに再現される男声には余分な情報が含まれていて、聴くものの脳でフィルタリングという余計な活動が強いられるように思います。それが番組を聴き続けることに苦痛さえ感じられた原因だと思うのです。

人は、抽象化されて必要な情報だけで表現されたものの方に惹かれます。特に脳が発達段階にある子供が実写よりもアニメーションに目が奪われやすいのもそういうことです。

写真も、カラーよりも情報量の少ないモノクロのほうが主題を表現しやすいことがあるのもそういうことだし、実写よりも特徴を的確に捉えた似顔絵の方が事件の捜査に有効な場合があるのも同じ理由です。


FMよりも更に高音質なデジタルではどうでしょうか。

けっこう多くの人がスマートフォンで撮影する写真に何らかの加工を施しています。たとえばセピア調にしたり、最近では多彩な種類があるようです。でも、その多くに共通するのは画質の劣化です。わざとぼかしたり、暗くしたり。
デジタルでは上記の器に相当する部分を偽装することが容易になったというわけです。
でも、それはやっぱり恣意的に過ぎる気がします。そこに、とても「然」が存在するようには思えません。

しかしながら、高度に処理された写真ではその加工に十分な必然性が感じられる場合もあります。ただし、これはむしろ例外的だと思います。デジタルであっても人の汗が感じられるのです。

デジタルの空虚さは今に始まったことでもないし、CDが世に出てきた頃から意識せずとも存在した問題でした。世の中は、いかにデジタルで小さな器を作るかに苦戦しているようにも見えますが、そこに頼らず、大きな器に相応しいコンテンツを構築していくことが本質的な解を生み出すのだと思うし、それが本来的には求められているはずです。ちょっと優等生ぶった解でもありますが。

ただ、一方ではTV放送のようにハイビジョンの次は4Kだ、と無駄に器だけ大きくしようとする虚しい試みも続けられていて、そこには少なからず問題も感じられるのです。

器だけでかくすることの虚しさにもっと目を向けるべきです。


2014-04-14

人の魅力ってなんだろう?

イクスプラズムでは映像や写真媒体でのプロモーションをサービスとして掲げています。

どんな映像や写真がプロモーションとして有効なのでしょうか。それは、プロモーション対象の魅力を伝えることだと考えています。

もちろん、プロモーション作品は魅力を伝えるという意識だけではなく、特徴を知ってもらうとか、なにか強いインパクトを感じさせるとか、印象に残して覚えてもらうための表現手段も必要です。
しかし、結局はそこに潜む魅力を誠実に伝えることができなければ、そんな表現の工夫も単なる情報だったり、ただのドッキリになったりするだけです。

魅力を伝えることはとても重要なのです。

実は、魅力を伝えるという行為は、プロモーションだけに必要なことではありません。たとえば、伝える魅力の対象やその範囲は異なりますが、「映画」という映像作品であっても観る人に魅力を伝えることで面白いと感じてもらえるのです。

こうなってくると、魅力を伝えることには表現全般に共通する普遍性がある、といえるのかもしれませんね。


実はその魅力にも普遍的な共通点があることが分ってきました。
人は、どういうものに魅力を感じるのか、なぜ魅力を感じるのか。

そのキーワードは「然」。

とても抽象的で掴み所がありません。その意味は「自然」とか「偶然」に近いのですが微妙に異なります。そして、いくら辞書を探してもぴったり当てはまる「~然」という言葉は見つかりませんでした。
「態然」とか「満然」という言葉を考えてみましたが、別な意味になってしまいそうです。

しかし、意識的とか、恣意的といったところとは逆のことだろう、というのは何となくお分かり頂けるでしょうか。実際、意識的とか恣意的といった言葉は主に人間の大人について使われますが、魅力を探ったり、魅力的な表現を創作しようと意識すればするほど、逆にそれは遠ざかってしまうようなところがあり、非常にやっかいなものでもあるわけです。

人間の子供や動物には敵わない、という話を聞くことがあります。俗に「もっていかれる」なんて言われ方もされます。
映像や写真に子供や動物が写ると、ただの大人が写っているよりもずっと魅力的で、観る人はそちらに心を奪われてしまうといったことなのでしょう。

では、なぜ子供や動物は人間の大人より魅力的なのでしょうか。
子供や動物に共通する魅力に「可愛さ」があります。彼らはそれを意識的にそうしようとしているわけではなく、ありのままに行動し、ありのままの姿を見せているだけです。そこに魅力の強さがあります。

細かいことをいえば、人間の子供は「可愛い」と褒められているうちに、どうすれば可愛いと褒められるのかを理解するようになり、意識してそれをするようになることがあります。あるいは、猫などは獲物を捕まえるのに失敗したりすると、転換行動といって自分の身体をなめたりしてごまかすことがあります。
そこには彼らなりの意識が入り込んでいるのですが、それは見る人が見れば全部お見通しで、そういった行動さえもひっくるめて可愛いと感じさせる場合も多いわけです。
ただ、その意識が巧妙になればなるほど、徐々に可愛さからは離れていくのだと思います。

~然とした子供や動物の魅力は可愛さに繋がりました。
すると、大人でも可愛さが魅力なのでしょうか?

そんなはずはありませんよね。確かに、子供のような大人が魅力的な場合も多々ありそうです。でも、それだけでは大人、いや、人の魅力を語ることはできません。
そこに「強さ」が加わるのだと思います。

解りやすい例としてはスポーツ選手が揚げられます。
勝つ、というごまかしのできない純粋な目標に向かってひたすら全力を尽くす。そこに然があります。そして、身につけた強さがあります。
強さは勝敗を決めるだけではなく、人としていろんな部分に展開して現われることがあります。たとえばそれは他人に対する優しさという形になることもあるでしょうし、おおらかさという性格の一部になることもあるでしょう。

~然を根源とする可愛らしさに強さが加わることで、普遍的な人の魅力にだいぶ近づいてきたように思われます。
しかし、忘れてはならないもう1つの要素があるのです。

それは、「感受性」です。

感受性の強い人は自分の感情を意識的に隠すことが難しいということもあり、子供や動物のように然とした態度や行動を取ることが多いのだと考えます。そんなリアクションは人を引きつけます。
逆に、恣意的なリアクションはむしろ引かれることさえあります。
つまり、感受性は然とした様子や可愛さにも深く関係しているのですが、それだけではありません。

豊かな感受性や強い感受性を持っている人は、人とは少し違う世界が見えています。
たとえば、そんな人と一緒に旅行をすると自分独りでは見えなかったことに気付かせてくれたりして、心の視界が広くなってより楽しみが増えるのです。

アーティストと呼ばれる人は、この感受性に由来する魅力を持った人が多いのです。
平たくいえば、自分だけが感じる世界(それは個性の本質に関係します)を多くの人と分かち合うために表現力を磨いた人なのです。アスリートのように純粋な目的があり、表現技術を磨いてきた強さがあります。
アーティストはその表現作品だけではなく、その人自身に魅力を感じる理由はそこにあるのです。


今回は特に人の魅力について書いてみました。今後も魅力について書くこと、語ることがあると思いますが、おそらくこの記事と重複する部分が多くなると思います。また同じことをいってる、なんて思わずに読んで頂けましたら幸いです。

2014-03-24

BLOGの開始

イクスプラズム総合サイトの公開に伴い、BLOGを開設いたします。

主に映像制作、写真撮影、システム開発に直接関係あること、あるいはプロモーションに関することを中心に書いていきます。でも、もしかすると範囲がオーバーラップしたり、まったく無関係な方向に行ってしまったりすることもあるかもしれません。

これまで別のBLOGサイトに書き溜めた内容を一部転記することも考えています。これよりも日付が古い記事はそうしたものです。